「刮目せよ」って、目をどうするんだろう
刮目せよ。
響きが、めちゃくちゃカッコいい。
時代劇なら、
このあと風が吹く。
映画なら、
いったん音楽が止まる。
日常の会議で突然言ったら、
少し心配されるだろうか?
そんな言葉だと思う。
知っているようで、
ちゃんと意味は知らない。
刮目。
一体全体、
何をすることなのだろう。
少し気になったので調べてみた。
「刮目」とは、
目をこすって、よく見ること。
注意して見ること。
「刮」という漢字には、
こする、削るという意味があるらしい。
つまり刮目とは、
眠い朝に目をこすること……
ではなく、
一度、目をこすって、
これまでとは違う目で相手を見直すこと。
この言葉の由来は、
中国の『三国志』にある。
呉の国に、呂蒙という武将がいた。
戦には強かったけれど、
もともとは学問にあまり縁がなかった。
ところが、主君の孫権から勉強を勧められ、
一生懸命に学び始める。
その後、久しぶりに会った魯粛は、
呂蒙の成長ぶりに驚いた。
そのとき呂蒙が言ったとされるのが、
「士、別れて三日なれば、
すなわち更に刮目して相待つべし」
簡単に言うと、
「人は少し会わない間にも成長する。
昔の印象のまま見てはいけませんよ」
ということらしい。
なるほど。
刮目とは、
ただ目を大きく開けることではなかった。
自分の中にある古いイメージを、
一度こすり落として見ることだった。
「あの人は、こういう人」
「あの人には無理だろう」
「自分は昔から、これが苦手」
私たちは知らないうちに、
人にも自分にもラベルを貼っている。
しかも、そのラベルは、
なかなか剥がれない。
相手は変わっているのに、
見る側の印象だけが昔のまま。
自分は少し成長しているのに、
自分だけがまだ気づいていない。
そんなこともある。
もしかすると刮目とは、
相手をよく見る言葉であると同時に、
自分の見方を疑う言葉なのかもしれない。
変わる必要があるのは、
見られる側だけではない。
見る側の目にも、
ときどき更新が必要なのだ。
「刮目せよ」
ずいぶん強そうな言葉だけれど、
本当は、
人を昔の姿だけで決めつけない。
変化や成長を、
もう一度きちんと見てみる。
そんな、少し優しい言葉にも思えてきた。
誰かに対して、
「どうせ変わらない」
と思ったとき。
自分に対して、
「どうせ無理だ」
と思ったとき。
一度、目をこすって見直してみる。
昨日まで見えなかったものが、
今日は少し見えるかもしれない。
ということで、
僕も自分自身を刮目して見てみた。
少しは成長しているだろうか。
鏡を見たら、
成長より先に寝ぐせが気になった🤣



「呉下の阿蒙に非ず」ですね
このエピソードは好きです!